楽しく生きるための錬金術

ヘルメスの7つの原理という精神の錬金術を学びたい人のためのブログ

選択と感じ方

選択と感じ方というのは、自分の人生をどう味わうかに、とても関係が深いものです。

 

自由に生きる。すべては自分がコントロールできる。という「全てが自分」という段階での考え方の大きなポイントは、選択と感じ方だったりします。よく言われる「見方を変える」とは「それによって浮かび上がる選択肢をみて選択を変える。」とか「違う見方を知る事で感じ方を変える」という側面があるからです。

 

同じような、出来事に出会っていても、そこから何を選択するか?そしてどう感じるか?で人生の味わいは大きく変わってきます。この味わいを選べるというのが、全ては自分が選んでいるということであり「自由」や「自己責任」といわれる理由です。

 

しかし、さらに上の振動数からみると「なぜ、選択してもいないはずの出来事が起きるのか?」「無限の選択肢がないのはなぜか?」「そもそもその選択をしてしまうのはなぜか?(それを良しとする理由はどこからくるのか?)」という疑問が浮かび上がります。

 

この答えになりうるのは、「選択と感じ方」は自由に自分で選べるという一方で、それより上の振動数によって「選ぶ基準や感じ方の傾向」などは決められている。ということです。

 

おそらく、選ぶ基準や感じ方の傾向、出来事の基本的な設定は自分のテーマと関わっており、それらは「全て」という不可知からの働きかけの為「自分と他人がいる世界で生きる」キャラクターとしての自分には、うかがい知ることが出来ないという構造があるのです。

 

錬金術(アルケミー)を使うということは、テーマを受け入れることで、日常生活での不自然な選択や感じ方(これらは主に、様々な価値判断や思い込み、常識や決めつけから来る不自然さです。)を減らし、より自分のテーマを豊かに味わうことを目的としています。

 

本来の自分を生きるとは、自分のテーマを全うすることでもあるのです。

 

 

 

まずは相手とは違う世界を見ていることに気付くこと

まずは相手とは違う世界を見ていることに気付くこと。

 

振動数を上げるのは、抽象度を上げ統合へと向かうことでもありますが、その縦の力に気付くためには、まず自分が見ている世界(一人一人の宇宙)があるということを知らなければなりません。

 

人間関係で摩擦が起きるのは多くの場合、相手も自分と同じものを見ているという勘違いだったりするのですが・・・ここで、相手は相手の枠(見ている世界)があり、自分は自分の枠(見ている世界)があるということに気付くことが出来ると、摩擦はもっと有意義なものにかわります。

 

わざわざ分離した現実の中で、摩擦を楽しんでいるのだとしたら、相手のドラマや自分との違いを楽しみ、結果的に自分の宇宙に対する理解を深めていくというかかわり方が出来たらとても素敵なことだと思います。

 

常識や世間の声、自分が当たり前だと感じていることが、相手にとっても同じだと信じて疑わないがために「なぜ思うようにならないのか?」と、悩み苦しんでいる人は少なくありません。これは、それだけ相手のことを思い一生懸命だということなので、全く悪いことではありません。しかしこの状態のときは、自分が自分の宇宙に影響を与えるということは、非常に見えにくくなってしまいます。なぜなら、自分の心が揺れるのは、相手の行動のせいだと感じてしまうからです。

 

とても逆説的ですが、相手には相手だけの、自分には自分だけの宇宙があることを知り、そこに集中できるようになると、人間関係の摩擦はもっと実りの多いものになります。「全ては自分、いや全ては幻だ」と認識したからといって、現実という三次元で誰ともかかわらないというのは、この三次元で生きていることを考えると、あまりお勧めの方法ではありません。

 

たとえ幻だとしても、心を込めて(分離した)相手を大切にすることで、人生の味わいはより深まるでしょう。そして、そうすることは結果的に自分(の宇宙)を大切にすることにも繋がり、様々なアルケミーを巻き起こすことになるのです。

 

自分の人生をより楽しみたい方は、是非お試しくださいませ。

 

 

 

振動数を上げる時に起きること

振動数を上げる時に起きること・・・揺らぎのお話・・・

 

このブログを読んでいただいている方の一番の関心事は「振動数を上げること」のようです。私も人のことは言えませんが、まったくマニアックな関心事です(笑)錬金術の世界も様々な視点で切り取られて発信されていますが、このブログは仕組みについて書くことに重点を置いています。錬金術の研究をしている人の中には(一見、錬金術に見えないものも含む)様々なアプローチがあり、どれもとても興味深いものです。

 

さて「振動数を上げる」仕組みの中にある・・・揺らぎ・・・とは何かと言いますと、統合(何かを含む)時には、必ずそれまで物事を分けていた自分の信念(価値判断)をいったん捨てなければならない。ということです。

 

振動数が高いこととは、より統合に進むこと。すなわち様々なものを含み抽象度を上げる必要があるのです。これは沢山の情報を含むことであり、小さな違いに翻弄されにくくなることでもありますが・・・実は案外人気がありません。

 

その原因の一つに、この揺らぎがあるのです。揺らぎというのは縛られず軽く心地よく感じると同時に、不安定でよりどころが無く恐怖心を感じる人も多いのです。スピリチュアルをやっている人が良く言われることのひとつに「地に足をつけなさい!」ということがありますが、これは揺らぎを察知した人の思いやりの言葉でもあります。

 

セッションなどでは、振動数を上げてその人の望みが叶いやすくなる環境をつくりだしますが、この時も揺らぎが起きるので不思議な感覚を感じる方も多いようです。

 

人間には「今のままそのまま」を良しとする、脳の仕組みがあります。揺らぎとは今のままそのままが無くなってしまうことを意味するので、どうしても不安や不快感がともないます。波打ち際に立った時、足元が崩れていく感覚を感じたことのある方もいると思いますが、まさしくあんな感じです。少々気味が悪いかもしれませんが、そこを超えた時、振動数は確実に高くなります。

 

錬金術とは、振動数を上げること抜きには語ることはできません。しかし、この現実に生きている限り、振動数を上げるだけでは(特殊な人を除いては)楽しく生きること、人生をより深く味わうことは難しいのです。

 

アルケミストが振動数を上げる訓練をするのは、逆説的ですが振動数を下げる為でもあります。振動数の上げ下げをして人生を味わうためには、まずは振動数を上げる必要があるからです。

 

「振動数を上げたい」とお考えの方は、まずは揺らぎを受け入れることです。「絶対こうだ!こうしなければならない!」と感じていることを、本当にそうなのか?疑うことが揺らぎの第一歩です。揺らぎを超え振動数が上がった時、目の前には沢山の選択肢がみえてきます。その中から自分の好みのモノを選び、振動数を下げ集中して味わうことこそが、楽しく生きるための錬金術なのです。

 

 

 

 

横の力と縦の力

錬金術では、横の力と縦の力を使います。

 

縦の力とはこれまでお話させていただいた、振動数の上げ下げによって生じる力のことです。横の力とは、主に自分と他人のいる世界観で使う力のことです。

 

一般的に語られる、引き寄せの法則とは、意志の力を使った横の力の場合が多いです。ビジョンを描くなどの方法も「ビジョンの通りの世界」「今のままの世界」という分離を扱う横の力を使います。

 

横の力とは、思い込みの力です。(まぁ、実際のところ自作自演であったとしても・・・)自分と他人がいる世界観では「そうなって、当然!」という思い込みが強いほうの意図が勝つようにできているからです。

 

これは、「ダイエットしてるから食べないでおこう・・・。」という思いと「でも食べた~い。」という思いがあった場合では、同じ自分でもより強い思いに従った現実が起きるのと同じことです。自分がどんな人間であろうとしているか?から周りの対応が変わってくる・・・ということです。

 

当たり前に、当然だと認識している場合、それ以外の選択肢がみえなくなり、必要な情報だけが意識に上がるようになることを考えると、不思議なことではありませんが・・・

 

縦の力とは、無効化の力です。自分と他人、良いと悪い、上手くいくといかない。様々なものを含んでその違いを無効化する力です。

 

これは「手放す」とか「ゆだねる」とも言われます。この力を使うと、こうでなければならない!という思いを手放すことになり、問題そのものが無効化します。

 

問題そのものが無効化するので、縦の力はある意味無敵な力ではありますが、そこには挫折や敗北もないかわりに、達成や勝利もありません。振動数が高くなればなるほどこうなってしまいますが、これは「正しい」ことというよりは、統合が進むということは、結果的にこうなってしまう。ということです。

 

楽しく生きるための錬金術とは、振動数を上げることを勧めているのではなく、人生を楽しむ為に振動数の上げ下げ(縦の力と横の力を使うこと)をお勧めしています。

 

自分の目の前の現実(横の世界)を楽しむために、必要なときに縦の力を使い、問題を無効化したり、影響力を高めたりする、ということです。

 

 

振動数が高いことで起きるデメリット

振動数が高いことで起きるデメリットとは、どんなものでしょうか?

 

振動数を上げることは、多くの場合良いことだと認識されているようですが、実はここにもデメリットがあり、振動数を上げたいのに上手くいかない原因は、このデメリットにかかわっている場合が多いのです。

 

このブログで、何度もお伝えしているように、振動数が高いことが良いことということではありません。「振動数が高いことこそが良いことだ!」と思った瞬間、そこには価値判断が生まれ分離し振動数は下がっていきます。もちろん、下がったとしてもそれが悪いことなのではありませんが・・・

 

振動数が上がることによるデメリットとは「ドラマチックさが少なくなる」ということです。

 

ドラマとは、分離がなければ生まれないからです。恋愛も人間関係も、ヒーローものも、全てのドラマは分離から生まれます。自分と自分以外があり、そこに価値判断があるからこそ物語が生まれるのです。

 

登場人物全員のことを同じように好きな恋愛ドラマや、味方も敵もいないヒーローもののドラマは成り立ちませんし、そもそも分離が無く何をするにも、するものとされるものが分かれていなければそこには何も始まりません(そして終わりもありません)

 

これらは少々極端な例でしたが、多くの人はやはりドラマが好きなのです。ドラマを経験、体感することこそ、この世界に生まれた意味なのかもしれません。

 

錬金術とは、振動数を上げることだけが目的なのではありません。振動数を上げ様々な分離や情報を含んだのち、自分のテーマ(自分の本当に好きなこと)を見つけ出し、そのドラマを深く味わうことこそが目的です。

 

ドラマにどっぷりとはまりすぎて苦しくてたまらないとしたら、振動数を上げ、統合に向かうことで気持ちが楽になり問題が無効化されます。そのうえで勇気を出してまた、振動数を落としドラマに集中すれば良いのです。

 

振動数は一度上がってしまったからといって、下げることが出来ないわけではありません。振動数が上がりスムーズにはなったものの、人間らしさを失い何のドラマもなくなってしまうのではないかと、恐れる人もいますが、振動数を下げることが出来なくなるということはありません。(テーマによっては、振動数を下げることが難しくなる人もいますが・・・)

 

どんなドラマを味わいたいと思うのか?は、一人一人のテーマによっても変わってきます。自分のドラマを楽しむ為にちょうどいい振動数を選ぶようになっているのです。

 

錬金術で振動数を上げることをお勧めするのは、まずは高い振動数を知る事でどの振動数を選ぶかを選択しやすくなるからなのです。

 

個性を生かすとは・・・

個性を生かすということは・・・いったいどんなことを指すのでしょうか?

今「個性を伸ばすことが大切だ」と様々なところで語られているようです。

 

もちろん個性を生かすことは、流れに乗って自分の人生のテーマをしっかりと味わうためにとても大切なことですから、私自身も個性は生かしたほうが、人生をより楽しむためには良いことだとは、思っています。

 

ただ「個性を生かす」ということを、とても曖昧にとらえているために、かえって悩むことになっている人も少なくないことも事実です。

 

「個性を生かしたいのに・・・自分の個性がわからない。」とか「自分の個性を分かってくれる人がいなくて苦しい。」とか・・・曖昧さゆえに、個性を生かすという正解にたどり着けない!とお悩みの真面目な人もいるのです。

 (ここを読んでいただいている方は、お分かりの方も多いとは思いますが、そもそも正解を探すこと自体が苦しみを生むのですが・・・。)

 

それはともかく、この曖昧さについて考えることで、自分の個性を肯定することが出来るようになることを目標に、今私はこちらを書いています。

 

まず、個性の定義ですが・・・ここでいっている個性とは、自分のテーマをより豊かに生きるためのアイテムであり、様々なものを含み統合へと進んでも(この世で生きている限り)無くならない偏りのことです。

 

そもそも個性には善悪はありません。長所が短所に、また短所が長所に変わる時、その個性自体が変わるわけではないということです。

 

もしも個性のとらえ方が変わるとしたならそれは、そのおかれている環境が変わり、その個性が必要とされる(もしくは不必要とされる)場所にいることが原因の場合と、ある程度、周囲の状態に合わせて個性のコントロールが出来るかどうか?が鍵になる場合とがあります。

 

「個性を生かす」ということに取り組む場合、大切なのは環境を選ぶことと、個性をある程度コントロールできるようになることです。

 

これらが出来るようになるために必要なのは、自分や他人に対する信頼感です。偏った自分でも大丈夫と思えること。それと同時に偏った他人もそれはそれでいいのだということを認識することが出来るようになると、自分自身に個性を出す許可がだせるようになり、それを生かす場所に行く勇気を出しやすくなります。

 

また、信頼関係が築けるようになることで、人間関係への不安が少なくなる為、不安からの行動が減ります。不安からの行動は視野が狭くなりやすいため、過剰になりすぎる傾向がありますから、個性をコントロールするためには不安を少なくするように心がけることはとても大切になります。

 

あなたの個性を生かすためにも、あなた自身の個性と他人の個性を(出来る範囲で)ゆるし、自分の世界の信頼感を上げてみてください。

 

 

心を穏やかにするために・・・

もしもあなたが、自分の心を穏やかにするために・・・

 

嫌なことはしない。ポジティブなものだけをみる。嫌いな人とはかかわらない。と決めているのだとしたら・・・

 

実は、逆効果です。

 

逆効果だとは言っても、これが悪いことだというわけではありません。ですから、もしも、あなたがこうするように心がけていたとしても、落ち込む必要はありません。

 

ここで考える必要があることは「心を穏やかにする」というのは、いったいどんな状態を指すのか?ということです。

 

もしも自分の周りに、嫌な人やネガティブなものがなく、嫌なことが起きないことが、心の穏やかさの絶対条件と考えてしまったとしたら、そう見えないものに触れたりそう思えない出来事に遭遇してしまうことで、心が大きく動きます。なぜなら、穏やかさを守るために、これらの出来事を「何とかして目の前から無くそう!」という意識が働く可能性が高いからです。

 

つまり、心を穏やかにするのが、心を大きく動かさないこととイコールなのだとしたら、全く逆の働きをするということです。

 

ただ、この心が動くことというのは、自分にとってマイナスなことばかりではありません。嫌なことがあるということは好きなことがある、ということでもあります。大好きなものを手に入れた達成感や感動などを味わいたいと考える人は多いと思いますが、これらの感情を支えているのはその反対のものたちなのです。

 

ですから、心を穏やかにするメリットデメリットを知ったうえで、本当に自分がそれを望んでいるのか?を一度考えてみることも大切です。そのうえで、心を穏やかにしたいのだとしたら・・・

 

自分にとっての、嫌なこと、ネガティブなこと、嫌な人をつくりだしている価値判断を探すことです。

 

これは、嫌なこと、ネガティブなこと、嫌な人、を許せとか受け入れろとか、いうこととは違います。

 

自分にとって「良いこと、嫌なこと」「ポジティブなことネガティブなこと」「好きな人、嫌な人」を分けているものは何かを知り、それを分けているのは自分でしかないと認識し、両者が本当は一つのものだと知るということです。

 

どちらを選んでも変わらないことを知っていると、どちらを選ぼうかと心が揺れることはありません。心が揺れないことが、心を穏やかにすることなのだとしたら、これが解決方法になります。

 

とはいえ、この方法は、本当にこれを望んでいるのかどうかを、自分自身によく問いかけてから使うほうが良いかもしれません。「心が揺れないこと」も「心が揺れること」も本来善悪はありません。自分にとって必要なときに、必要な分だけ使えばいいだけなのです。