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楽しく生きるための錬金術

ヘルメスの7つの原理という精神の錬金術を学びたい人のためのブログ

全てがひっくり返る振動数

振動数が高くなってくると、全てがひっくり返る振動数に到達します。

 

とはいえ、体がある限り完全に覚醒などはしませんが、今までの当り前が、鏡のようにひっくり返る瞬間があるのです。

 

他人がいて自分がいる世界観や全てが自分という世界観では、自分の望みや行動は自分が生み出していると認識されますが、全てを含む世界を知る事が出来た時、自分の望みや行動はただただ、そうなるためのものでしかなかったことに気が付くのです。

 

望んでいたのではなく、望まされていた。行動していたのではなく、行動させられていた。これを知ってしまったとき自分に対しての認識がひっくり返ってしまうのです。

 

こんな話を聞くと、自由が無くなる気がして抵抗を覚える方も多いかもしれません。私自身も自由が好きだと、自由を求めていた時がありますから、その気持ちは痛いほどわかります・・・。当たり前ですが、自由を求めて生きることに何ら問題があるわけではありません。

 

ただ、自由をもとめれば求めるほど、自分の意志で何かを選べば選ぶほど、何故それを選ぶのか?何故それを求めるのか?はわからなくなっていきます。不安や恐怖からの選択が無くなれば無くなるほど、自分の選ぶものは、はっきりしてくるのに、それを選ぶ明確な理由などないと気付くのです。

 

ここが観えてきたとき、自分が選んだのではなく、選ばされているのかもしれないことが観えてきます。そこにはわずかな諦めと、そうするしかないことに対する喜びがあります。

 

これは、自分自身をきちんと使う調和への喜びなのかもしれません。

 

この振動数にいきつくと、ワクワクとは無縁になります。ワクワクの定義は様々ですが、テンションが上がりラッキー!というような感情ではないということです。静かに淡々とやるべきことをやるという感じです。そこに喜びはもちろんありますが、喜びと共に確信や諦めもありますので、一般的に想像されるワクワクとは少し違ったもののように思います。

 

もちろん、誰もがこの境地を目指す必要はありません。この境地に行きついているように感じられる人を何人か知っていますが、それらの人たちの多くは、これを目指したわけではなく、ワクワクする人をちょっとうらやましく思いながら(笑)自分のテーマを淡々と生きることで自分の世界に影響を与えているように感じます。

 

ここを読んでいるあなたが、今どの振動数で生きているのかは、私にはわかりませんが・・・どの振動数だろうと自分の人生を真剣に大切に生きていただきたいと思います。私も毎日それだけを考えて生きています。せっかく生まれたのだから、自分をしっかり味わいたいと思うからです。

 

 

引き寄せの法則とサイコパス

引き寄せの法則を使って幸せになろうとするあまり、一種の魔境へと転落し、サイコパスの様になってしまう人は実は少なくはありません。

 

魔境やサイコパスなんていうと、とても恐ろしいモノのように感じられるかもしれませんが、分かりやすく言うと「不安・恐怖」と「欲望・虚栄心」のバランスが崩れた状態ということです。

 

統合への流れに向かうことは、様々なものを含むため「不安・恐怖」も含まれてしまい無効化されます。

 

引き寄せの法則などでは、このことを自分の願いを叶えることにおいて邪魔な不安や恐怖心(心理的ブロック)を外すことを目的として使う場合も多く・・・これが、度を超してしまうとバランスを崩すことに繋がるのです。

 

そもそも、統合に向かうということは「不安・恐怖」も無効化していきますが、それと同時に「欲望・虚栄心」をも無効化するということなのです。

 

コップの水の中に何滴かの水滴を落としたら、どの水滴なのかも、どこからがコップの水なのかも区別がつかないように・・・

 

自分の中の「不安・恐怖」「欲望・虚栄心」などを含む過程である、統合へと進むのであれば「不安・恐怖」というブレーキだけが無効化され、「欲望・虚栄心」というアクセルだけが残されるのは、本来ありえないのです。

 

錬金術とは、振動数の上げ下げを使い人生をより自分らしく味わうためのものですが、統合へと進むにつれて、他人と自分がいる状態のエゴとしての「自分」の欲望は薄らいでいく傾向にあります。

 

これは、欲望を持つのが悪いわけではなく、単に様々なものを含んでいくと「自分」と「他人」の境界線があいまいになるために「自分だけ」の欲望というよりも、自分とその周り「様々なものを含んだ自分」の欲望へと移り変わっていくということです。

 

また、自分の願いが叶うことと叶わないことの境界線もあいまいになるため、願いが叶わないかもしれない・・・という恐怖や、何が何でも叶えたい!という執着も少なくなってしまうということでもあります。

 

エゴとしての「自分」の欲望があるのに、それに伴う不安や恐怖だけを切り捨てようとすることは、分離に向かうことです。

 

分離に向かうことも、欲望があることも、悪いことではありませんが、統合へと進んだつもりで分離へと向かってしまう場合、バランスが崩れやすく苦しさを覚える人が多いということです。

 

個人的な欲望を持つことは、決して悪いことではありません。ただ、それに伴う不安や恐れを嫌うあまり切り捨てようとしても、それはできないのです。なぜなら、その欲望と不安はコインの表裏の様に繋がっているものだからです。

 

 

 

 

精神の錬金術が目指すもの

精神の錬金術が目指すものとは何か?

 

私がお伝えしている、ヘルメスの7つの原理という精神の錬金術が目指しているものとは、自分の人生において出来うる経験や体験をしっかりと味わう。ということです。これはもちろん、そうしなければならない、ということではありませんが、そうなるようにプログラミングされているのです。

 

これは、自分のテーマを外れた時、流れに逆らったとき、嫌な気分になるような設定がなされているように感じるところからも、おわかりの方も多いかもしれません。嫌な気分とは、悪い物ではなく、これらのことを認識しやすくなるための、仕組みのひとつではないかということです。

 

これらを考えながら生きる必要があるかどうか?については、私は答えをもちませんが、これらを意識して生きるほうが、よりスムーズに自分らしい経験を味わうことはできるようになるということだけは、お伝えすることが出来ます。

 

精神の錬金術師としてこの世界を生きていくと、自分の持ち物に関する感覚はどんどん薄らいでいきます。自分の欲しいモノ、自分の感情、自分の持ち物、自分の考え・・・などが本当は、エゴとしての自分のモノではなく、それらをもとに様々な体験をするための「設定」でしかないことに気付いてしまうからです。

 

ここに気付いて生きている人のことを、多くの人は覚醒者(悟りが開いている)と呼ぶのです。この境地にいきついた場合、喜びや幸せ、自由や自分の定義も大きく変わりますから、一般的に語られる「引き寄せの法則」などが目指す「幸せ」とは、同じ話をしているようでもまったく違った話をしている可能性が高いのです。とはいえ、誰もがその境地を目指す必要は(当たり前ですが)ありません。

 

しかし、そもそもの設定がありますから錬金術の仕組みを知ることは「自分らしく生きたい人」や「流れに乗って生きたい人」には、現実的なことにおいても役立ちます。この場合は錬金術の使い方に少し特徴があり、振動数を上げるだけではなく下げることで自分の世界に影響を与えることを意識する必要があります。

 

また、精神の錬金術師としてこの世を生きていきたいと考えている(私のような)少々変わり者なテーマをお持ちの方の場合は、振動数を上げる方向(価値判断を外す・統合)へと進むうちに、様々な定義が変わってくることを感じることと思います。

 

どちらにせよ、自分の人生を「自分らしく流れに乗って生きたい」のならば、この錬金術は知っておいて損はありません。

 

悪口を言う人は振動数が低いのか?

悪口を言う人は振動数が低いのか?というお問い合わせを良くいただくので、それについて書いてみます。

 

先ず結論から言うと、悪口を言う人は振動数は低いです。

 

ただし、だからダメだということではありません。振動数の高い低いは、何度もお話しするように、良い悪いではありませんから・・・。

 

悪口を言う人が振動数が低いというのは、道徳的なお話ではなく「悪口を言うためには価値判断が必要になる。」という理由からです。

 

悪口とは、何かと何かを比べた場合、どちらかが悪い(価値がない)という判断のもと、自分の主張を述べるということです。価値判断は、悪い物ではありませんが、そこからは分離が生まれますから、振動数は下がります。因みに何かと何かを比べて、どちらかが良いとすることも、価値判断するという点では同じです。(こちらは語られることが少ないのですが・・・)

 

悪く言いたくなる状態もそれに比べて良いと思っている状態も、実は同じ線上の極でしかないと気付くことが、価値判断を無効化し含むことであり、統合に進むということなのです。振動数が高いということはそれだけ統合が進むということですから、価値判断のしようがないため、悪口の言いようもないのです。

 

ただし、振動数が高い状態でも一見悪口に感じるような発言が出る場合もあります。その場合とは「悪口を使っている場合」と「好き嫌いを言っている場合」です。

 

「悪口を使う」というのは、セッションの仕事などで相手の振動数を上げなければならない場合に、相手に「悪口を言っては駄目だ!」という価値判断がありすぎたとき、ショック療法的に使うということです。(もしも使う場合は、慎重に使う必要があります。)

 

また「好き嫌いを言う」とは、価値判断ではなく単なる好みの話です。誰かがピーマンを嫌いでも、ピーマンの価値は変わりません。また、価値があるからピーマンを好きになるわけでもありません。好みとは、価値を超えたものなのです。この好みと価値判断が、混同された場合「嫌い=ダメ(価値がない)」となりやすく、単なる好みの話が価値判断の話(悪口)に聞こえてしまう場合があるのです。

 

悪口を言うためには価値判断が必要で、価値判断が多いということは分離しやすい分、振動数は低いということになります。

 

しかし、悪口を言うというのも、その人の価値観の主張でしかなく、その人のこだわりや思い入れの表現でしかないですから、悪口自体が悪いというわけではありません。実は・・・悪口をどう扱うか?も単なる好みの問題なのです。

 

 

流れには2種類あるのです

精神の錬金術は、流れに乗って自分らしく人生を楽しむためにあるのですが・・・

 

この流れというものは2種類あるのです。

 

この2つは、それぞれをみるとまるで正反対の性質の様にみえます。流れに乗ると聞くと、統合に向かうことだと思う方は多いかもしれません。しかし、統合に向かうためには、分離を知らなければなりません。

 

この仕組みにそって生きることが流れに乗るということなのであって、どちらか一つだけを目指すことはできないのです。

 

これは、少しジグソーパズルに似ているかもしれません。

 

それぞれの違い(分離)を見つけることは、一つ一つのピースを探す作業のようなものです。様々な価値判断や枠を知ることで、世の中にはいろんな違いがあり、様々なピースがあることを知っていくということです。

 

学校で沢山のことを学んだり、人間関係でいろいろなタイプの人と出会ったりすることは、様々なピースの違いを知ることと似ています。

 

この時、沢山の経験をして様々なピースを見つけ出す人、又、少ないピースを大切にする人、など色々ですが、どちらも良い悪いはありません。

 

ただ、この時期は様々な価値判断(分離)を知る流れがありますから、ピースを見つけようとする行為のほうが流れに乗っている(スムーズに物事が進む)傾向があります。

 

ジグソーパズルのピースがある程度そろったら(ピースの数は人それぞれです。)それらを組み立てる流れに入ります。

 

ジグソーパズルを組み立てるとは、それぞれのピースの違いを認めながら、一つの絵として含んでいく作業です。この一つの絵に向かって統合していくことがもう一つの流れになるのです。

 

流れに乗ることが、統合へと向かうことのみだと考えていると、自分の人生という絵に必要なピースを見つけることが難しくなる場合があります。

また、ピースばかりを探し続けているために、自分の人生の絵がいつまでも見えなくて途方に暮れてしまう人もいます。

 

今の自分の流れは、ピースを探す流なのか?それとも組み立てる流れなのか?流れに乗って生きたいと考えるのなら、今の自分の流れをよむことも大切なことなのです。

 

もちろん「ピースを探しながら組み立てる。」「組み立ててみて探すピースを見極める。」ということもありますが、ピースを一つも見つけないまま組み立てようとしても上手くいきませんし、ある程度のピースが集まっているのに組み立てないままで持っていても混乱が深まってしまいます。

 

様々な経験や、出会った人たち、学んだ事柄・・・は、あなたの人生の大切なピースです。それらを上手に含み組み立てていくことで、自分の人生のテーマがよりはっきりと見えてくることでしょう。

 

 

 

問題解決とシンプルさの関係

シンプルに考えると、問題は解決しやすい。というのを聞いたことがある方も多いかもしれません。

 

確かにこれは、錬金術的な視点からいってもうなずけることです。

 

ただし、そのシンプルさが「様々なものを含んだシンプルさであれば」という条件は付きますが・・・

 

実はこのシンプルというのは、案外誤解されていることが多いのです。・・・というのも、シンプルさには2種類あり、問題解決に向いているシンプルさと、問題が解決しないシンプルさに分かれるのです。

 

ですから、問題解決のためにシンプルに考えようとするのなら、自分の考えているシンプルさがどちらのシンプルさなのかをしっかりと認識する必要があるのです。

 

問題解決に向いているシンプルさとは、様々なものを含んだシンプルさです。沢山のものを含んでそれを大きな塊としてみることが出来る時、問題解決の方法も沢山見つけることが出来るし、一番効果的なものを選び実践することも出来ます。その結果として、問題を解決しやすくなるのです。

 

様々なものを含んだシンプルさで物事を見ることが出来ると、偏りなくたくさんの情報を手に入れることが出来るということです。

 

では、もう一つの問題が解決しないシンプルさとは、どんなシンプルさかというと・・・切り捨てるシンプルさです。このシンプルさは、問題を解決するというよりも、問題は問題のまま切り捨ててしまう。ということになりますから、問題を解決したい場合は、お勧めできません。

 

もちろんこのシンプルさが悪いということではありませんが、この切り捨てるという行為は、分離をすすめるという性質上、問題が解決して平和になるというよりは、さらに問題を意識して断裂する。というようにドラマチックな結果になる可能性が高いため、問題解決には向いていないということなのです。

 

問題を、様々な解決法をみたうえで、解決したいと考えているのか?自分にとって必要が無いと切り捨てるのか?どちらのシンプルさを使うかで結果は大きく変わってくるということです。

 

流れに乗って生きるという点からみると、お勧めしたいのは様々なものを含んでシンプルに考える方法です。この方法は統合に向かうということでもありますからそのぶん、スムーズに物事が進むようになるのです。

 

 

 

 

枠があるからこそ、自分を知ることが出来る

枠があるからこそ、自分を知ることが出来る。

 

枠や価値判断を悪いものとして、捉える必要はありません。確かに、価値判断という枠が沢山あると、窮屈になったり、苦しくなったり、周りとぶつかることが多くなります。

 

これは、枠が沢山あればあるほど、周囲との違いを感じやすくなり、そこに価値判断が多ければ多いほど受け入れられないものが増えるからです。

 

しかし、この枠が全くなければ、自分と自分以外を区別することも難しくなりますし、自分のこと(個性)を知ることも難しくなります。

 

「自分の個性を知りたい」「本当にやりたいことを知りたい」というお話は、仕事柄よく聞くのですが、これらを知るためには、この枠を如何に上手く使うか?が鍵になるのです。

 

枠があることさえ気付かずに「こんなもんだ・・・」と諦めていれば、自分の個性に気付ける筈はありませんし、枠があることを「型にはめられた!」と嫌がっているだけでは、自分の個性に近づくことはできません。

 

自分には様々な枠や価値判断があることを知り、それに対してどう感じるかということをただ感じてみることが、自分の個性を知るためには、とても役立ちます。

 

自分の中にある枠や価値判断がしっくりくるのならば、それはあなたの個性と合った枠ですから、自分の個性やこだわりとして大切にすればいいですし、その枠が、どうもしっくりこなくて我慢を感じているのなら、その枠を含むことで無効化すればいいのです。

 

この時、しっくりこない枠のことを切り捨てようとする人は多いのですが、そもそも全ては自分なのですから、自分の一部を切り捨てることは不可能です。

 

逆説的ですが、そのしっくりこないものも自分なのだということが、腑に落とせるようになったとき、しっくりこないと感じる価値判断が無効化されその枠は、感じなくなります。

 

しっくりこないものや嫌な感じがするものと戦い続けるよりも、自分の好きなこと、ワクワクすることをしたほうが良いとよく言われるのは、そもそも戦って勝つこと(嫌なものを切り捨てること)自体が不可能なので、そこに意識を使うのはやめましょうということであり、イライラしながら見てみぬふりをすることではないのです。

 

枠や価値判断と戦わず、上手く味方につけることが、自分の個性を知り流れに乗るためには、大いに役立つということです。